名古屋市のHIV誤通知問題で思う

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11:40 47news (47NEWS)
HIV誤通知の男性名乗り出る 名古屋市が謝罪
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名古屋市エイズウイルス(HIV)抗体検査を受けた男性に誤って結果を陽性と伝えていた問題で、市は25日、男性から連絡を受け、正しい陰性の結果を伝えたと発表した。

〉男性は15日に血液検査を受け、中保健所で22日に別の人の結果を渡された。職員が受検番号の数字を読み間違えたのが原因。

※で疑問が…。陽性だった人には伝わったのだろうか。

※陰性だったと安心しているとするとタイヘンなことになりますよね。

※陽性と伝えられた人への補償もどうなったのか気になりますね。

※謝罪で済む話ではありませんね。

※それで思い出したのが井深八重さんのことです。ハンセン病と診断され、家族からも見捨てられ絶望の中で施設に入れられていたのですが、そののち誤診とわかります。その後の人生をハンセン病患者のために捧げた人です。

※御殿場の復生病院を訪ねていろいろ考えさせられたのを思い出しました。

wikipediaより
井深八重
〉八重が7歳の時に両親が離婚、母は八重を井深家に置いて去る。父・彦三郎も多忙なため叔父の梶之助に預けられ育つ。1910年、小学校を卒業して同志社女学校普通学部に入学。家族から離れた8年間の寄宿舎生活を始める。1918年、同志社女学校(現在の同志社女子大学)専門学部英文科卒業。

長崎県立長崎高等女学校の英語教師となったが、1919年ハンセン病と診断されて神山復生病院に隔離入院。3年後の1922年になってそれは誤診だったと判明するが、彼女はハンセン病患者を献身的に看護する院長ドルワール・ド・レゼー神父の姿に感銘を受け病院に留まることを決意する。

〉1923年、看護婦学校で学び資格を所得し病院初の看護婦となる。当時はハンセン病やその患者に対する激しい差別と偏見が存在した時代であったにも関わらず、極貧の状態だった神山復生病院の婦長として献身的な看護にあたり、生涯をハンセン病患者の救済に捧げた。

〉その活動は国際的に高く評価され、1959年には教皇ヨハネ23世より聖十字勲章を、1961年には赤十字国際委員会よりナイチンゲール記章を受章。日本カトリック看護協会(JCNA)初代会長。1977年度朝日社会福祉賞受賞。