見えない恐怖ということ

よく放射線被害は急性以外は目に見えないから「怖い」といわれる。

そして福島第一事故後に政府、東電、保安院スクラムと東電にスポンサー汚染されたマスコミが「安全、安心」を大合唱した。

確かはじめはチェルノブイリを比較に出すと「この素人がなにを大袈裟な」という雰囲気だったし、胸部レントゲンだ、CTスキャンだ、海外旅行だという比較を出してネットが騒ぎすぎ、デマと言い立てた。

収束のメドがない中でレベル7になるとチェルノブイリの10分の1だとチェルノブイリ事故と比べるのは「ありえない」といっていた。

私は、なぜ安全について「最悪想定」で話をしないのかよくわかならいでいた。今回の津波で得た教訓は率先避難と井伊ながら「大丈夫」を繰り返してきたのが「日本の上層部」なのだ。

おかけで今では国民はすっかり安心している。メルトダウンと聞いても「爆発があったのは3月で、大量に出たのはもう終わったでしょ」というような反応。

いや「放射線は目には見えないのだ」

これが今こそ伝えなくてはならないことだ。